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弓道の歴史について
弓道は日本が誇る武道であり、肉体面だけでなく精神の鍛錬としても行われてきました。
本日は、そんな弓道の歴史についてご紹介します。
弓という道具自体は、古代から様々な民族が発明し、遠い所にある獲物を獲るために使用されてきました。
平安時代では貴族の行事としての射礼に、また、武家時代では弓矢を通じた礼の思想になっていったのです。
源頼朝の時代には、戦の道具となり、武士の戦闘訓練に使用されるようになりました。
14世紀の後醍醐天皇の時代に、武家社会に伝承された弓法を小笠原貞宗・常興が集大成。
弓馬術礼法の基準を確立した小笠原氏は、その後も徳川時代まで将軍家の弓馬術礼法の師範を務めます。
また、室町時代の武将、今川了俊は射術の書として「了俊大草紙」に当時の射法を詳細に書き残しました。
日置流の祖、日置弾正正次(へきだんじょうまさつぐ)もこの時代の人で、この技法は実践の射として普及しました。
正次の射法はやがて吉田重賢に引継がれ、さらに出雲派・雪荷派が分派。
雪荷から道雪が分派し、出雲派から印西派、大蔵派などが分派しながら、多くの俊才によって弓技は急速に進歩を重ねます。
さらに15世紀から17世紀、室町末から徳川初期にかけての150年の間に、多くの流派が派生しています。
しかし鉄砲伝来で戦の道具としての弓は衰退してしまいます。
その一方で、心身の修業としての弓術技法は精巧になっていき、江戸時代になると戦もなくなったため、弓は道として研鑽されていき現在の弓道の礎ともなっているのです。
昭和4年に弓術から弓道に名称が改められ、昭和の時代、弓道は中等学校以上の学校教育として正課やクラブ活動に採用されています。
その後も昭和16年、文部省による体練科武道として再び実戦と直結する方向に導かれましたが、昭和20年11月に武道の授業は禁止となってしまいました。
しかし昭和26年7月、文部次官通牒により学校における弓道の実施が許可されます。
さらに昭和42年、体育局長通達によって高等学校における弓道の正科を採択。弓道は新しい意味における教育的意義、体育的意義が認められて、学校体育として行われるようになりました。