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霜鳥 裕達
【資格】2級施工管理技士/1級フローリング技能士/木製床管理者/体育施設管理士/有機溶剤など【仕事】床職人歴20年以上になります。まだ小さかった頃、母親が自分を背中にしょってダボ打ちをしていたそうです。【想い】大切な会社、携わる方と共に成長し、幸せにしていきたいです。またホームページやメールマガジンでより良い情報をお届けします。もっと分かりやすく伝わる記事が書けるよう頑張ります。

卓球の歴史とは

卓球はインドのゴッシマテニスから⁉

卓球はインドのゴッシマテニスという遊戯が19世紀にイギリスに渡ったことに端を発します。
雨の日にテーブルの上でボールを打ち合うのが上流階級で流行り出した事からとされています。
最初の頃のボールはコルク製でしたが、現在はプラスティック製で統一されています。

セルロイド製のボールを使用していた時期もあり、テーブルを弾む時「ピンポン」と音が鳴ることからピンポンの名称になり掛けたのですが、アメリカの方で既に同名の登録商標されたものがあり、正式名として「テーブルテニス」に治まったようです。

ラケットも当初はテニスで使用するサイズで行っていましたが、少しずつ改良がされ今のサイズになると共に、表面にラバーを張るタイプへと進化を遂げます。
グリップもペンホルダーとシェイクハンドの2種類がありますが、近年多用されているのはシェイクハンドの方です。

試合形式はシングル・ダブルス・団体戦があり、21点制で2ポイント先取の3セットマッチで闘っていましたが、これもルールの改正で11点制の最大7セットマッチ・4ポイント先取になっています。
(国際試合と国内試合で一部異なる場合有)

日本への伝来

日本に卓球が入って来たのは20世紀の初めで、一人の日本人教授がイギリス留学から帰国する際に、卓球に関する資料を持ち帰り、東京の大学や横浜の高校で実施されるようになると瞬く間に全国へと普及して行きます。

1952年インドで行われた国際大会で日本は優秀な成績を収めますが、次第に台頭する中国に押されて来ます。
中国では卓球が国技に定められていることで、強化指定競技と位置付けられており厳しい訓練を強いています。

1959年の世界大会で中国の選手が初優勝を上げると、2年後に中国で開催された大会では、中国勢が優勝を独占してしまいます。
それ以来、常勝国として今も君臨しており、日本からも卓球留学をする選手もいます。

その甲斐あってか、2000年代に入り日本の選手も徐々に世界に通用する技術を身に付け、世界の強豪選手と対等に試合が出来る様になって来ました。
長い低迷気をやっと抜け出す事が出来たのは、選手個々のレベルが上がった為であり、それを可能にしたのは代表選手専用の練習設備が整った施設を国が創設した事が大きく作用しています。

それにより国際大会で優勝を充分狙える所まで遂に来たのです。