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少林寺拳法の歴史

みなさん、こんにちはコートラインプロです。
本日はスポーツの歴史シリーズです。

いろんなスポーツがあるけど、意外にスポーツの歴史って知らないですよね!
今回は少林寺拳法の歴史をご紹介します。
少林寺拳法の歴史は、1911年(明治44年)生まれの宗道臣という1人の男が、特務工作員としての仕事に必要な教育を受けるため、陳良という老子の弟子となったところから始まります。
陳良老師は、義和団の乱の生き残りの中国拳法の達人でした。
彼に中国拳法の技を教わっている最中、当時の満州を旅行することとなった道臣は、その際に義和団の乱の生き残りの拳法家達に拳法の技術を教わる機会を得ました。
生き残りの拳法家達の中には、陳良老師の師である文太宗老師がいたようです。
彼は北少林寺義和門拳の二十代師父で、道臣にその技のすべてを習得させました。
終戦の年、道臣は満州に身を置いていて、たまたまソ連軍の攻撃に遭遇したことで、その後の1年間をソ連軍軍政下の満州にて生活することを余儀なくされます。
その生活のなかで法や政治のあり方、その立場に立つ人の立場や考え方、価値観等によって如何様にも姿を変えるのだと悟り、もしも生きて日本に帰ることができたのならば、私学を開き、青少年たちに勇気や自信、行動力、正義感と慈悲心に満ち溢れた強く優しい人間となれと伝えたいと思うようになったといいます。
ですが、念願かなって祖国へ帰ってみると、青少年の荒廃はすさまじかった。
「これではいけない」と思い、1947年に日本の香川県で本部道院を開設すると、翌年には「日本北派少林寺拳法会」と「黄卍教団」を発足させました。
その後、道臣が心不全により69歳で死去するまで、少林寺拳法の普及に努めていくことにります。
現在は、彼の娘の宗由貴にその志は引き継がれ、現在の少林寺拳法の普及につながっています。
なお、少林寺拳法は単なる拳の修行だけではなく、精神修養と人格形成を行う教育的活動の側面を持っており、それこそが道臣の目指した道だったのです。
のちに彼は「単に武道団体を創始したかったのではなく、敗戦した後の日本の若者の堕落ぶりは目を覆わんばかりであった。荒廃した日本民族の自立を再度うながすべく、一人でも気骨ある若者を育てる教育の場を創造したかった」と述べています。
なお、よく誤解されがちですが、少林寺拳法は宗道臣が独自に創設した武術であり、中国武術の1つとして有名な少林拳とは全く関係がないのです。