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塩入
【資格】木製床管理者/有機溶剤など【仕事】床職人から管理までを行っている。スポーツ関連の仕事に就きたいと大原学園のスポーツビジネス科に入学、卒業後、床職人の道に‼現在、千葉営業所勤務・関東を中心に床工事を行っている。【想い】お客さまにはより良い工事を、そしてビジネスパートナー様には共に伸びるため、良い提案をしていきます。【本人より】関東近郊のスポーツフロアや体育器具の工事ご相談ください

スポーツ名場面「ジュホールバルの奇蹟」

スポ女チエ

今では出場するのが当たり前のような風潮になっているWカップだけど、悔しい経験をいっぱいしてそれを後の世代に残してきたから今があるよね。

塩入

ドーハの悲劇を経験してジョホールバルの奇跡あったから、苦しみながらもWカップに出場することができているし、国民が一つになって応援をする流れも生まれたと思うよ。

私がお奨めする名場面は日本人ならば、多くの方が知っているであろう、あの歴史的出来事、あの歓喜の出来事です。

それは「ジュホールバルの奇蹟」と言われています。
そう、それは男子日本代表サッカー 1998フランスワールドカップ出場を決めた試合です。

この試合は言わばプレーオフ的な条件、アジア地区の第三代表枠を争ってのものでありました。
やり直しの利かないまさに一発勝負の一試合であった訳です。

負ければまた四年後、そしてこれまでの四年が全く無駄になってしまいます。
この時の代表は決して強いわけではなく、不安定な面もあり、ギリギリでの闘いをしていました。

ここまで来るのには長く危うかったのです。

途中、成績不振により加茂監督が解任され、岡田監督にバトンタッチしたことが物語っています。
このようなチームアクシデントを乗り越えてのギリギリでつかんだ一発退場勝負のチャンスであったのです。

前回、アメリカワールドカップ予選にて味わったロスタイムでの出来事。

そう今でも語りつがれ記憶に深く残る「ドーハの悲劇」

あの時は最後の最後、力つきたのか、不運の面もあったのか、ギリギリでワールドカップにはいけませんでした。
フランスワールドカップでは逆にギリギリで掴みとったチャンスをものにできるか、非常にドキドキしながらテレビの前で試合に釘ずけになりました。

ここまで緊張感がある試合は今になってもなかなかないと思います。
非常にスリリングな試合内容で、見ている私も緊張しました。

結果的には3対2で勝利です。

またしてもギリギリの闘いで掴んだチャンスでした。
試合終了後は安堵の気持ちと、歓喜の思いでいっぱいでした。

私個人だけでなく日本中が歓喜で沸き起こりました。
テレビからの熱気は、それは凄いものがありましたから。

このような時代の国のムーブメントはなかなか体験できないかもしれません。
現在では日本代表のレベルもチームとしても個人としても格段にレベルアップしたと私は思います。

半ばワールドカップに出るのが当たり前という風潮もあります。
しかし、勝ち取るのは決して簡単なことじゃありません。

あの歓喜の試合、あれほどまでに心を燃やした試合はありません。

あれから20年が経過し、サッカーも何百試合と観戦しましたが、あれほどの試合というのは、なかなかないんじゃないかと思っています。
延長での岡野のゴールは今でも記憶に残っています。